ぼんやり考察してみよう

世の中のあらゆる事象について、悪い頭なりに一生懸命考えを巡らせてみるブログ

勇者は、現代社会で生きていけない

ロールプレイングゲームにはよく「勇者」という職業が登場する。
勇者は得てしてバランスタイプであり、他の職業の平均を抽出したような能力を持っている。
 
良く言えば万能選手、悪く言えば器用貧乏、それが勇者と言えるだろう。
 
ロールプレイングゲームの中では、パーティーの中心となる勇者。
しかし、もし勇者が現代社会の中で生きていくことになった場合、その前途は多難である。時には「使えない人間」の烙印を押されてしまうこともあるかもしれない。
何故なら、勇者には『明確な強み』がない。そして何をしても『平均以上の成果』を出すことができない。
職業の多様化が進んだ、超分業化社会とも言える現代で、これは致命傷になる。
企業からすれば、体力勝負なら戦士を雇うし、頭脳労働なら魔法使いを雇う。
結果として、勇者の居場所はどこにもなくなってしまう。
 
得意な分野で一番を取れば、大抵の瑕疵は不問になる……良くも悪くも、それが現代社会の特徴である。
どちらかと言えば、アンバランスで尖った人間が得をし、バランスは良いが突出した能力のない人間が損をする。
その事実を踏まえた上で、生き残るためには、一番を取ることは難しいにしても、意識して『平均より優れた何か』を身につけなければならない。

男女の役割から読み解く、男子、女子、それぞれの欠点

男子にも女子にも、それぞれわかりやすい、ステレオタイプな特徴、欠点が存在する。
お互いにそれを受け入れられず、時には苦々しく思うこともあるかもしれない。
しかし、それらの問題は、本能の示す男女の役割に原因を求めることができる。

 

 
■1.男子によくある特徴、欠点

・パートナーがいても、他の女に目移りしたり、よく浮気をする
より多く自身の遺伝子を残すという役割のため、男子は条件反射で性的な刺激に反応し、浮気もしやすい。
また、一人のパートナーと生涯共に歩むという社会から求められる役割が、本能の命じる役割と相反しており、噛み合っていない。

 
若い女を好むのは、若い女なら元気な子供が生まれてくる確率が高いからである。
一昔前、年齢を重ねた女性に対して『羊水が腐る』なんて発言をした芸能人が批判を浴びたことがあったが、高齢になるにしたがい、妊娠、出産のリスクが上昇するのは、厳然たる事実である。
医療技術が発達していない過去においては特に、高齢出産による母体、産まれてくる子供への影響というのは決して少なくなかった。

・犯罪傾向があり、野蛮である
男子の役割は、食料を入手し、無防備な女子と子供を外敵の脅威から守ることである。
よって、大切な人々を守り抜くため、男子はある程度は攻撃的になる必要があった。時に野蛮なのは、その副作用とも言える。
 
例えば、猛獣が家族を襲おうとしていた時「猛獣怖いよ、足が震えて動けないよ……」という男より「猛獣? 刺し違えてでもぶっ殺してやる! かかってこいよ!」という男の方が役割を遂行できる。
女子の理想の男子としてよく『強くて優しい』という条件があげられるが、二兎を追う者は一兎をも得ず。強く逞しい男子はそれなりに粗暴であり、優しく穏やかな男子はそれなりに軟弱である。覚悟されたし。


■2.女子によくある特徴、欠点


守銭奴のきらいがある
女子の役割は、子供を産み育てることであり、子供を育てるには、十分な食料が必要になる。
太古では、狩猟、農耕、釣り……食料調達の腕前がそのまま生活力となったが、通貨制度が発達して久しい現代ではそうはいかない。
最早食料は唯一無二の価値ではなくなり、貨幣調達の腕前が生活力となった。
 
意識的か無意識かはともかくとして、パートナーの貨幣調達の腕前――生活力を重視する傾向があるのは、自分のためと言うよりは、産まれてくる子供のためと言える。
高い知能の代償として、ヒトは自立するのが非常に遅い。
生まれたての小鹿がすぐ立ち上がるのに対して、ヒトの子供は一年経って、ようやくつかまり立ちができるかできないか、といったところである。
子供が健康に、何不自由なく育つよう愛情を注ぐ……言葉にするのは簡単だが、その役割を完遂するためには、相応の時間、周囲の協力、そして金銭の余裕が必要不可欠となる。
 
実際、少年漫画におけるヒロインと比較しても、少女漫画におけるヒーローが「御曹司」や「実業家」といった資産家である確率は抜きん出て高い。少女漫画は所詮フィクションであり、架空の人物がいくら金持ちであろうと現実には何の影響もないはずだが、本能が『生活力を異性の魅力の一つとして定義している』ため、フィクションであろうとも資産家属性は性的魅力を高める効果をもたらす。
但し「パートナーは高収入じゃないと無理」と言いつつ、返す刀で「二人の時間を大切にしたいから子供はいらない」などと言いだすのは、ただの地雷女子なので、世の男子は注意した方がいいだろう。

・理屈より感覚で物を言い、気分屋である
前回書いたように、愛という抽象的概念を判断するため、女子は理屈より感覚を重視する必要があった。
 
女心と秋の空……とも言われる気分の乱れについては、そのまま、ホルモンバランスの乱れが影響していることが多い。
個人差があり、女子同士でもあまり共有できる問題ではないが、月のもの二日目の重くだるい感覚、多岐にわたる不快な症状などは筆舌に尽くしがたい。
気分の変調については、本能云々は関係なく、肉体の仕様と言った方が正しいかもしれない。
男子はなるべく寛容な精神でもって見守り、女子もまた、それを免罪符にして不機嫌を押し付けるようなことはしないよう、お互いの配慮が必要となる。

「まほろまてぃっく」から考える、男女の性差について

■1.ある一つの疑問  ~何故えっちなのはいけないのか?~

 
皆様は「まほろまてぃっく」というアニメをご存知だろうか。
タイトルにまでしておいて何だが、実は、筆者はよく知らない。作品の詳細については知らないが、名前だけは知っている程度である。
筆者が「まほろまてぃっく」を知ったのは、あるAA(アスキーアート)がきっかけであった。
 

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……このAAを最初に見た時、筆者は思春期真っ盛りの中学生。
ぼんやりとAAを眺めていた筆者だったが、ふと、ある一つの疑問が頭をもたげた。
 
『何故だ?』
 
『何故、えっちなのはいけないのだろう?』
 
筆者は思った。
生物というものは、究極的には、子孫を残すために生きているはず。
おこがましくも霊長を名乗ってはいるが、勿論、ヒトも例外ではない。
それならば、男子も女子も、ある程度は、性というものに対して積極的であるべきではないだろうか?
 
男子が性に対して積極的なのは、火を見るよりも明らかであり、周知の事実である。
しかしながら、筆者の見る限りでは、女子は性に対して、積極的どころか消極的で、嫌悪感を剥き出しにしているようにすら思えた。
男子も女子も等しく、性に積極的であるのが自然の摂理ではないのか?
女子はどうして性に対して拒否反応を起こす傾向があるのだろう?
子孫繁栄という観点から見れば、性に拒否反応を起こすなどあってはならないことではないのか?
 
若かった筆者は、それ以上先に進むことなく考えるのを止めた。
疑問は疑問のまま、結論は出なかったのだが、今になって疑問が解決したばかりか、考えを進めれば進めるほど興味深かったので、ここに記す。
 
 

■2.男の役割、女の役割  ~すべては子孫繁栄のために~


――女子はどうして性に対して拒否反応を起こす傾向があるのだろう?
中学生の筆者はわからなかったが、大人になった今考えたら、簡単に答えは出た。
キーワードは『子孫繁栄』である。
男子が性に積極的なのも、女子が性に消極的なのも、すべては子孫繁栄のためだったのである。
 
先ず、男子の場合だが、これはわかりやすい。
男子は子孫繁栄のため、より多く自分の遺伝子を残すのが役割である。
故に、性に対して奔放で、積極的である。
 
次に、女子の場合。こちらは少々わかりにくい。
若き日の筆者が疑問を覚えたのは、子孫繁栄=性交、という安直な思考に囚われてしまい、男女それぞれの持つ役割、というものに目線を向けなかったせいである。
女子は子孫繁栄のため、子供を産み、育てることが役割である。
故に、性に対して臆病で、消極的であるし、そうならざるを得ない。
 
子供を産む前段階として、女子は当然妊娠する。十月十日とも言われるその期間、母体は極力安静を必要とし、満足に動けなくなる。
つまり、その期間、食事を与え、外敵から守ってくれる何者かが必要になってくる。
ここから、女子の行動様式が決定する。
心が通じあい、愛を確かめ合った相手――つまり、無防備な自分と胎児を守ってくれるであろう男 でなければ性交したくない。愛のない性交なんて苦痛なだけの拷問でしかない。
無理矢理、なんて論外である。母体の人格すら無視して乱暴狼藉を働く男など、性交の時点で、胎児を、子供を守らないと宣言しているも同じではないか。
 
女子は完全な自由意志で愛を求めているわけではない。胎児を守らんとする本能によって、恐ろしいほど合理的に『そう感じるようにつくられている』のである。
 
愛のある性交は最高だ。
愛のない性交は最低だ。
女子は子孫繁栄を至上命題とする本能の都合により、同じ性交という行為に対して、矛盾にも近しい両極端な価値観を押し付けられる形になった。
ここまで読み進められた賢明な読者の皆様ならばお気付きであろうが、これが女子の性に対する拒否反応の正体である。
女子から見て、露骨な性描写を含むポルノは愛のない性交に相当するため、本能が嫌悪感をかきたて、拒否反応を起こす、そういう仕組みになっている。
 
なので、女子は言うのである「えっちなのはいけないと思います」と。
 
性に対して積極的なのも本能なら、性に対して消極的なのもまた本能。なかなか興味深く、面白いことである。
 
  

■3.愛を定義し、その有無を判断せよ  ~無理難題を押し付けられた女子~

 
前項で、女子は愛の有無により、同じ性交でも、その価値が極端に変化すると記した。
システムに例えるならば、性交という変数を参照した際、愛という変数が一定以上ならプラスの値を、愛という変数が一定以下ならマイナスの値を代入する、と言ったところか。
ただ、人間はコンピュータではないので、そういったシステマティックな判断ができるわけもない。愛は概念――それも非常に抽象的な――であり、数値化することも、手に取って確認することも不可能である。
 
『愛とは一体何なのか?』
 
女子は自覚的か無自覚であるかに関わらず、否応なく、この、ともすれば哲学的ですらある問いに自分なりの答えを出す必要に迫られる。
しかしながら、愛の有無を判断せよ、なんて、正直無茶振りも甚だしく、結局のところ、女子は『感覚』に頼るしかない。
『愛』とか『心』とか、そういった、いくら考えてもわからない、目に見えない事象を取り扱うために、理論を放棄し感覚を鋭敏にする必要があった。
研ぎ澄まされた感覚は、時に思いもよらぬ洞察、発見をもたらすこともあり、それは俗に『女の勘』などと呼ばれる。
 
女子は理論でなく感覚で動くとはよく言われるが、それもまた本能の要請なのである。
『目の前の彼は、果たして私のことを愛しているだろうか? 彼と共に、幸せな家庭を築けるだろうか?』
いかなる理論をもってしても、その問いに答えを与えることはできない。